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『となりのトトロ』はいったい、いつの話だったのか? ~新説・1952年説 【ジブリ、アニメ部門解散特集】

(原文)→http://ch.nicovideo.jp/Forlost/blomaga/ar594641(2014/08/11 11:11版)



1.初めに
 今年8月、あのジブリがアニメ制作から撤退することが発表された。映画製作部門はすでに解体され、もうジブリはジブリ映画と呼ばれる長編アニメーション作品は作らない。ジブリ映画は地上波で飽きるほど放映され、私は『となりのトトロ』(以下、『トトロ』)などのそれを飽きるほど見て育ってきたので、ジブリがもう新たに映画を作らなくなってしまうというのは、一つの時代の終わりだ。
 ところで、そのジブリの出世作となった『トトロ』について、未だ謎とされているのがその舞台となった具体的な年だ。ネット上を検索してみると、舞台となった年について、昭和30年代だ、いや1958年だ、いや1953年だ、と論じたもの(というよりも決めつけたもの)を見かける。しかし、それらの言説は時に矛盾を孕んでおり、また、よくよく考えてみれば不自然であるのに誰も異議を挟まず、それどころか、私が唱える「1952年説」を唱える人は誰もいなかった。
 そこで、以下、従来の説とその根拠を説明し、また、1952年説の根拠も説明したうえで、1958年説と比較して1952年説が採用されるべきであることを述べて、この問題に決着をつけ、「ジブリ」という一つの時代が終わった記念にする。

2.従来の説(1953年説、1958年説)とその根拠
 どういうところから従来の1953年説、1958年説が出てきた解説する前に、前提となる条件から。
 まず、だいたい『トトロ』の舞台となった年代は1950~1960年ぐらいであろうとされる。手がかりとなるのは、『トトロ』の監督である宮崎駿監督の発言だ。彼は『トトロ』について、「テレビの無かった時代をイメージ」したと発言している。白黒テレビが一般家庭に普及したのは、1950年後半から1960年前半にかけてだ。だから、少なくともこれよりも前の話だろう。また、常識的に考えて戦争直後でもないはずだ。そのため、1950年~1960年ぐらいと大まかに推定できる。(※1)「~ぐらい」では少し曖昧なので、1950年~1960年、としておこう。
 なお、「昭和30年代をモチーフにしている」という説もあるが、どうもこの「テレビが無かった時代」という発言を基にしているらしいが、他に1955年以降とする理由も無く、そもそも、後に紹介する宮崎駿監督との発言とも矛盾するの排除する。

 さて、1950年~1960年と区切っても、具体的な年についてまだ分からない。しかし、これを前提に、1953年説と1958年説が存在する。その根拠は何か。1953年説からみていこう。

(※1…「テレビの無かった時代」をNHKの放送開始が1953年であることから、1953年以前とする説もある。この場合、この時点で世間で有力とみられている1958年説は否定される。一方、いずれにしても、私の提唱する1952年説は「テレビの無かった時代」の条件を満たす。)

A.1953年説
 1953年説の根拠は、先ほどと同じく宮崎駿監督の発言である。宮崎駿監督は「『となりのトトロ』は1988年に1953年を想定して作られた。」と発言している。
 こう書くと、数少ない読者は「じゃあ、1953年で決まりじゃないか、解散、解散」と思うことだろう。だが、ちょっと待ってほしい。1953年説には後述するように重大な矛盾点が含まれている。そして、その矛盾点こそが1958年説の根拠となっている。

B.1958年説




 1958年説の根拠となるのは『トトロ』の病院での一シーンのカレンダーだ。さきほどの宮崎駿監督の発言はこのカレンダーと矛盾する。1953年のカレンダーはこのようにはならない(1953年のカレンダー)ので、1953年説は否定される。
 一方、1958年ならば、カレンダーはこのようになる(1958年のカレンダー)。それを根拠に市井では「トトロは1958年が映画の舞台です」などと語られ、もはやこれが真実としてまかり通ってしまっている。
 しかし、カレンダーがこのようになるのは、1958年だけではない。1952年も同じだ(1952年のカレンダー)。「昭和30年代(1955年~)」というあやふやな推定が一因となって、今まで見過ごされてきたが、1952年も候補に成りうるのである。
 
 では、1952年と1958年のいったいどちらが良いのか?それを判断するために、それぞれ当てはめた場合どうなるのか、を見ていきたい。

3.1952年か?1958年か?
 最初にそれぞれ登場人物の年齢を再確認しよう。トトロと出会った少女のうち、姉の草壁さつきは12才、妹の草壁メイは4才。生まれた月はどちらとも5月に因む名前なので、5月だろう(※2)。また、父の草壁タツオは32才で、母の草壁靖子の年齢は不明だ。
 さて、この4人のうち、草壁タツオに注目しよう。もし、『トトロ』を1958年(もしくは1952年)の出来事とした場合、彼と妻の間に姉妹が生まれた年、そして、終戦時、何歳だったのだろうか?

A.もし、トトロが1958年の出来事だったら
1958年8月 となりのトトロ(32)
1954年5月 第二子メイ誕生(27,28)
1946年5月 第一子サツキ誕生(20,21)
1945年8月 終戦(18,19)
※・・・カッコ内はタツオの年齢

 もし、トトロが1958年の出来事であれば以上のようになる。
 この場合、サツキの誕生が46年5月であることは少し不自然な点だ。子作りが行われた日を逆算すると10ヶ月前として45年7月頃になる。しかし、この時、草壁タツオは何らかの形で戦争に動員されていることは間違いなく、しかも、戦争末期の一番苦しいときだ。そんなときに、タツオが子供を作ろうとするだろうか?
 一方で、1952年はどうだろうか?

B.もし、トトロが1952年の出来事だったら
1952年8月 となりのトトロ(32)
1948年5月 第二子メイ誕生(27,28)
1945年8月 終戦(24,25)
1940年5月 第一子サツキ誕生(20,21)

 どうだろう。1952年版の方が1958年版より自然ではないだろうか?
 まず、第一子サツキの出生に不自然さが無くなる。第一子サツキは40年に出生している。このころは日中戦争や第二次世界大戦が進行中で、太平洋戦争の開戦が迫っているときだ。しかし、戦争末期とは違い余裕のあった時期で、父タツオはおそらく裕福な家庭の生まれ(※3)なので、子供を作る余裕も十分にあったと考えられる。子供が生まれても何もおかしくはない。
 また、サツキとメイの年齢差も説明できる。第一子サツキの誕生後、日本は戦争に突入した。戦争の最中は余裕が無く、新たに子供を作るという状況では無かったはずだ。また、それは様々な物資が欠乏した終戦直後も同様であり、日本においてベビーブームが始まったのは1947年からである。そのため、第二子が産まれるのが遅れ、当時としては珍しく第一子サツキの出生後から第二子メイの出生まで8年も間が空いてしまった、と考えれば、サツキとメイの大きな年齢差が合理的に説明できる。
 こうして1952年説と1958年説を比べてみると、1952年説は1958年説よりも筋が通っていると言える。

 また、「宮崎駿は1953年を想定して作った」と言っていたことも、1952年説の根拠だ。確かに、1953年説は間違いであったが、1953年ではないにしても、監督の宮崎駿から具体的な年が出てくる点、カレンダーなどの小道具に関わってくる点から、スタッフは製作にあたって具体的な年を想定して作ったのは間違いないだろう。そうだとすれば、1953年は単なる思い違いだった可能性が高い。彼が思い違いをしたのならば、「1952年と1953年を間違える」可能性と「1952年と1958年を間違える」可能性はどちらが高いだろうか?
 言うまでなくたった1年しか違わない1952年と間違える可能性の方が圧倒的に高い。この点も1952年説を支持している。

 さらに言えば、「テレビの無かった時代」発言からも1952年が正しいと言えるだろう。白黒テレビが一般家庭に普及したのは1950年後半から1960年前半と述べ、それ以前の話であるということは前述した通りだ。トトロの舞台となった田舎ではそうではないだろうが、1958年は白黒テレビがちょうど普及してきた頃であり、「テレビの無かった時代」かどうかはギリギリのところである。もちろん、それだけでは否定する根拠にならないが、では、この点に関して、1952年と1958年のどちらが良いかと言われれば、もちろん、1952年である。

 もうここまでくれば分かるだろう。私たちは説得力の無い1958年説を捨て、1952年説を選ぶべきなのである。

※2…皐月(さつき)=5月の異名、メイ(May)=英語の5月。
※3…劇中でタツオは考古学の非常勤講師をしている。このことから次のことが言える。第一に、大学卒でありおそらく大学に進学できる家庭に生まれたこと(当時の大学進学率は数%)。第二に、その後に企業などに就職せずに考古学の研究を続けられる余裕があること。なお、この当時の非常勤講師は現在と違い、地位は低くなく、順当にいけば将来、タツオはどこかの大学で教授になるだろう。


4.終わりに
 『となりのトトロ』は1952年の話である。今までは1953年である、もしくは1958年であると言われていたが、1953年とするのは劇中のカレンダーと矛盾しているため誤りであり、1958年とするのもだいぶ不自然である。一方、1952年とすると不自然なところが一つも無く、宮崎駿監督の発言にも近い。
 では、なぜこうも間違った説が広まってしまっているのか。それはおそらく宮崎駿監督が「1953年」と誤った情報を流してしまったのからだろう。1953年説は前にも見た通り、劇中のカレンダーからも否定されるため、具体的な年が曖昧になった。そして、どこかの誰かが(何故か1952年ではなく)「『トトロ』は1958年の物語だ」と言い始め、また、そう言われて1953年と1958年のカレンダーを調べる人はいても、その前後の年のカレンダーを調べる人は少なかったため、1958年説が唯一の真実のように言われて出回ることになったのだろう。
 残念ながら、私の影響力はたかが知れているため、これから先も「トトロは1958年の話だ」と言う人が多く出るだろうし、世間では1958年説が真実だと思われ続けるだろう。
 しかし、ここの読者は1958年ではなく、1952年であることを知っている。だから、ぜひ、1958年説を唱える人がいれば訂正し、「トトロは1952年の話である」ということを広めてください。


・指摘、質問、コメント等あれば、コメント欄にお願いします。


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テーマ : 日本映画
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昔の痛い記事を非公開から公開にしました。
理由は、痛い記事であろうとなかろうと、スカスカのままでは寂しいが一つ。あとは、公開しておくと、当時を思い出して懐かしんでくれる人も1人や2人はいるかもしれない、と思ったからです。. このエントリーをはてなブックマークに追加

「War of Omens」 攻略記事

「War of Omens」(ウォーオブオーメンズ)にハマりました。
面白いゲームなのですが、日本では流行っておらず、日本語での攻略情報がwikiを含めてありません。そこで、私が攻略情報をこのマイナーなブログで書き、一通りの攻略情報を公開しておきたいと思います。

この記事を読んだ人も、何か有益な攻略情報があれば、コメントで教えてください。

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ゆめにっき第7夜 天使から逃げるファンタジー世界

1/8

天使から逃げる。私は天使から逃げていた。
それまでの経緯は忘れたが粗末な小屋に逃げ隠れている。
私一人ではなく、もう一人の男も誰かも逃げ隠れている。
このもう一人も私と同じく逃げているらしく、いわば、私の逃走仲間といったところか。
私はその男と話し合い、それぞれ別々に逃げあい合流できたら合流する、ということで別々に逃げ始めた。
その小屋は数mの崖の上にあり、隣は広大な砂浜に隣接していたので高性能なホッパーでぴょんぴょん跳ねながら砂浜のほうに逃げていくことにした。
それにしてもこの砂浜は広く、通常の砂浜と比べて尋常ではない広さがある。
しかも、奇妙な形をしている。通常、砂浜は海に侵食されているため、海の方向に対して横に広がっていたりするものだが、この砂浜は出来の悪いランダム地形作成ソフトで造ったように、砂の巨大な道が海の方向につながっていたり、砂浜の中に湖のようになって水がたまっているところがあったりと、とにかく通常の砂浜とは形が異なっている。
そんな砂浜を私は小屋から離れる方向に飛び跳ねていった。

結構砂浜方面に飛び跳ね砂浜も終わりという∩状のところで、天使の集団がビーチボールで遊んでいた。
ビーチボールで遊んでいるといっても、スポーツのビーチボールをしているわけではなく、ボールで遊んでいるというところ。
その天使たちは7、8人ばかりで、みなビキニを着ていて金髪。まさに西洋画に出てくる天使といったところである。
そして、近くの海には、絞殺形の処刑台のような20mはある長いロープ付の細長い何かがそびえたっていた。

さて、私が天使の集団に近寄っていったものだから、彼女らはこんなことを楽しむかのように笑顔でいう。
「捕まるおつもりなの?私たちに捕まって、安らかな死に方が出来ると思っているの?」
捕まったら戯れに処刑台に首をくくられ、玩具にされることになるのだろうか。
それは御免、とホップしながら逃げる。
ホップし続けるとファンタジックな旅館が見えてきた。

そのファンタジックな旅館は結構な人で賑わっている。
そして、私とは別の方向に逃げた男もその旅館の前にいた。
私はその男との再会を喜び、安く泊まれるその旅館に泊まることにした。

宿泊の手続きをしたときに貰ったチラシには手書き風でペンで書いたような黒字で長文が書かれている。
私は仲間の男に「こういう手書き風のものは印刷なんだよ」と笑いながら話しかける。
その長文を読んでいくとどうやらこれは宿の宣伝チラシらしい。宣伝チラシなので普通なら興味の湧くものではないがそこに気になる一文があった。
「この宿は"天使さま"にもお泊りいただいております!」
本当に天使が宿泊する可能性があるのならマズイが、私はこれを見て「こんな庶民向けの宿に天使が泊まるわけがない。ただの宣伝文句だ。」と一笑に付した。この宿は決して粗末でボロボロとは言いがたいが、横長で手狭な宿で富裕層が泊まるような代物でもなかった。

部屋がある4Fまであがっていくとそこは宴会場だった。
浴衣を着た若い大学生か高校生かぐらいの若者がズラっと並んでいる。まだ宴会は始まっていないようで空席がぼつぼつあり、各人は鍋の前で談笑しながら待っている。そして、横を通ってもまったくこちらを気にしない。
私は仲間に小声で「どこかで浴衣でも持ってきて、空席があったらこいつらの仲間のふりをして鍋をいただこうか」などと冗談めかしていう。
そして、若者たちの後ろを通り部屋の前に着いたがそこには「E-4」というプレートが掲げてあり、私たちの部屋である「E-5」は反対側にあったので、また宴会場の中を横断して部屋に向かった。

場面は一転、その宿の地下に移る。
そこには忠実者(ナーガ)の幼女が一人。
忠実者って何か?と疑問に思ったところで、説明テロップが入る。
テロップによれば、このSkyrimのアルゴニアンのようなトカゲ人間は忠実者と呼ばれ、忠実な性格をもつトカゲらしい。その歴史に目を向けると、忠実な性格ではあるため軍人として需要されるものの、長い歴史の中では支配に耐えかねて反乱を起こすこともあるらしく、巨大な帝国を何度もこの忠実者が崩壊させてきたようだ。忠実者とはなんとも皮肉なネーミングである。

テロップが終わると、忠実者の少女(10代前半ぐらい)が暗い地下で一人の身体しか照らせないようなランプを手に持って歩いている。暗い石造りの廊下でたたずんでいる。
そこに年長の男であろう忠実者が現れた。その男に気付いた少女は「ごめんなさい、ごめんなさい」と何事かを謝っている。どうやらこの場にいること自体がいけないことのようだ。
しかし、年長の忠実者は少女の足元の方に目を向けている。そこには忠実者の横顔が彫られたレリーフがうっすらと青白く輝いている。何かこの青白いレリーフに大きな意味があるのだろうか。. このエントリーをはてなブックマークに追加
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